悩みのためのカウンセリング、夢分析などによる心理相談室 竹内心理相談室

医師と臨床心理

医師と臨床心理

 現状では、医療現場には確かな心理職の立場は「無い」と言っても過言ではないと思う。それ故、医師に匹敵する国家資格を作って心理職の立場を確立しようという気持ちは痛い程分かるのだが、それだけでは、複雑な医療現場の人間関係に新たに深刻な対立の軸を加えることになりかねず「クライエントのための立場を超えた協力関係」はかえって困難になるのではないだろうか。それよりも、心理職が本当に現場で通用する専門性を獲得し、周囲が認めざるをえないような実力を着実に養っていく方が、より少ない摩擦で医療現場に浸透していく早道だと思う。医学とは異なったアングルからアプローチし、医師には言えないような視点、指摘と実行力を示してベターなケアに貢献することで、根気強く立場を築いていくしかないと考えて、さまざまな試みと努力を重ねてきた。

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 例えば、幻覚・妄想様の症状がありながら、その内容が通常の統合失調症の幻覚・妄想とは異なっている一群のクライエントの問題がある。医学のサイドからは、彼らには、薬の効きが悪いという共通点があるらしい。もちろん、私は、薬物治療については全くの素人なので、協力している医師たちから聞くしかないのだが、「全般的に薬の効きが悪く、人によっては殆んど薬に反応していないかのような常識では考えられない患者もいる。」とのことである。
一方、ユング派の分析家の視点からすると、普通、統合失調症の幻覚・妄想は、夢のような内容の豊かなストーリイ性を持たないので夢分析の方法に乗りにくいのに対し、この一群の幻覚・妄想が、ある程度、夢分析の手法で解釈しうることが、本質的に異なる共通の特徴である。

 私は、彼ら病気は、かなりはっきりした幻覚・妄想があっても、統合失調症とは系統の異なる病気であろうと考えている。この病気も、躁鬱様の症状を伴うこともあるのだが、統合失調症でも躁うつ病でもなく、それ以外のいわば第三の精神疾患というべきもので、仮に「自己同一化型人格障害」と名づけている。ここでの「自己(セルフ)」は、ユング心理学の概念なので、精神分析にアレルギーの強い医師には受け入れてもらえないが、このタイプのクライエントは、自我(エゴ)が「自己」内に同一化され、イメージと現実の世界が混同しているため(図1)、幻覚・妄想の内容が夢と近似し、夢分析の手法で解釈が可能なのだろうと推定している。自我と「自己」が同一化すると、自我は人工的なイメージを作り、その中にひきこもることができるので、それが夢の内容に近い幻覚・妄想様の症状となり、そのイメージで周囲をまきこみ、現実を自分に都合よくコントロールできそうな場合は、躁様の心理状態になり、外的内的ななんらかの理由で、そのバブルがはじけた場合に、重い鬱様の状態になる。いわゆる「新型鬱」も、この延長上で考えた方が分かりやすいのではないだろうか。

 この「自己同一化型人格障害」の概念は、ユング心理学の心の構造についての考え方を認めないと説明できないので、医療現場では、相手を選んでしか言わないのだが、「特定の病気の薬が効かなければ、それは別の病気である。」というのも薬物療法の原則の一つなので、ある程度、耳をかたむけてくれる医師もいる。幻覚・妄想様の症状までは無くても、このタイプのクライエントは、神経症程度のレベルまで存在するので、その圏内なら、精神分析、心理療法、カウンセリングで十分に対応できる。ユング心理学の視点から言うと、日本人の自我は、欧米人と比較して、「自己」に近いところに定位するので(図1)、自己同一化型人格障害のクライエントは多いと考えられる。あくまで私見による仮説とはいえ、一つの問題提起にはなるのではないだろうか。

雲

 精神分析的手法が、単独で精神病圏のクライエントに有効だとは考えられない。本物の統合失調症で、「死ね、死ね」というような幻聴が聞こえている人には、精神科的ケアは必要だし、時々おられる
刃物を見ただけで、自他傷してしまいそうな妄念にとりつかれてしまう人は、一旦スイッチがはいってしまうと、どんなに優秀なカウンセラーでも、「中心性を見失わないでともにいる」といえば聞こえはいいが、大汗をかいて、危機的な行動を実行されないように監視し、考えが極端にならないように会話することしかできない。これを、薬物で制御するか、未然に防いでもらえるなら、実際問題として、これ程助かることはない。こういう場合、その他のケアは、副次的なものにならざるを得ない。

 クライエントの為には、医師との協力は欠かせないのだが、医療現場では、精神分析的カラーは、隠さざるを得ないときもある。特に、分析家資格など持っていると、便利な時もあるが、変に意識したり、中には、攻撃的になる医師もいるので、状況、相手を見きわめて発言を調整する。医療現場への心理職の浸透には、なにより忍耐と根気を必要とするが、さまざまなクライエントに実際に応用しうる見方、方法を、相手のプライドを尊重しつつ、低姿勢に粘り強く提案していけば協力は可能と信じている。もちろん、「医師とだけでなく、臨床にかかわる全職種が、立場や流派、従来のいきさつを超えて協力し合うことが、クライエントの為になるという思いの強さ」と「実力に秘かな自信があれば、低姿勢でも卑屈にはならない」ことで、自分を支えている訳である。なにしろ、「立場が無い」のだから。

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