悩みのためのカウンセリング、夢分析などによる心理相談室 竹内心理相談室

学校現場での臨床心理

学校現場での臨床心理

 個人開業以来、二十数年になるが、特に近年、いままでのセラピーのやり方が通用しにくくなっていると実感している。社会の常識や枠組みが失われるとともに、クライエントの症状も、かつてのようなはっきりとした精神病理学の教科書の記述にあてはまらないケースが増え、いわばボーダーレス化しているため、既製のセラピーが通用しにくくなってきている。例えて言えば、常温常圧を前提として成立し通用してきたカウンセリングやセラピーが、常温常圧という前提が失われたために役に立たなくなっている。この状況は、学校現場でも変わらず、臨床心理の仕事は、困難でリスクの高いものになっている。

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 しかし、常温常圧の条件がなくなったといっても、物理の法則が無くなったのではないように、ボーダーレスな状況でも通用する新しいセラピーのやり方もあるはずだと考え、かつて学んだ総てをバースにして、常温常圧を前提としない状況の下で通用し、さまざまなクライエントに対応しうるセラピーを模索しつづけてきた。
 たとえば、心理テストを用いるならば、クライエントの問題の内容と程度、そして、とりあえずどういうケアが必要で、中長期的にはどういう処遇をしていくか、ゴールとしてなにを目指すかという「診たて」ができうるかぎり正確に具体的にできて、なおかつそれを難しい専門用語や、こじつけに聞こえる論理、神秘的で訳のわからないあいまいな表現を用いずに誰にでも分かりやすく説明できなければ、学校現場でもどこでも、プロとしての信頼と尊敬を得ることはできない。

 つまり、登校拒否のケースならば、なぜ学校に来れないのか、主たる原因は何なのか、心の問題の内容と程度はどれくらいで、心理療法だけで扱えるのか、別の職種との協力が必要なのかなどについて、心理学を学んだことの無い例えば父兄にでも分かるように説明できて納得してもらえるような本当に役に立つ技術が必要である。このことは、私のところでは、夢、箱庭でなくても、バウムテスト、風景構成法、コラージュ等を、ユング心理学の絵画分析の手法を援用して解釈することによって、今では、ほぼ確実に可能である。広言ととられては困るが、私の相談室やいろいろな場所で、毎日、毎週やっていることである。

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 学校では、かつてなら精神病院か専門の施設でしか見られなかった病的なエピソードや症状のある生徒・学生が急増している。教員たちは、教育の専門家ではあっても、臨床心理の専門家ではないので、「変な行動」と思っても、その意味が分からず振り回されることが多い。不登校からリストカット、反社会的行動まで、ちゃんとした原因が特定できないので、「羹に懲りて膾を吹く」ことになったり、「さわらぬ神に祟りなし」で問題を先送りする。結局、大学・大学院は、自立できない学生であふれかえっている。幼稚園から大学まで、教職も、かつてないほどリスクの高い仕事になっているのだが、学校における心理職の仕事は、先生たちに本当に役に立つ知識や技術を、自ら実践的に提供することで、問題を先送りせず、「青少年の健全な自立」という教育本来の目的のために立場を超えて協力しあうことだと思う。

 しかし、学校は、教育施設であって、治療施設ではないので、心理テストをすることそのものにリスクを伴う場合もある。「ウチの子供に勝手に訳の分からんテストをして、心の病気ときめつけた。」という親のクレームが教育委員会などにいくことがある。人権問題にされると学校側は大変弱いので、現場で目に見える症状と言動を分析することだけで、心の問題の内容と程度を推定するしかないが、それには、相当幅広い経験と技術を必要とするし、その結果をどこまで伝えていいのかにも気を遣う。最近はあまりに父兄のあまりに無理なクレームが多いので、父兄の要求・言動から、その表裏の真意を早く読み取り、適切に対応するための手作りのマニュエルを作って、教育分析で訓練している学校関係者等に配っているが、この父兄からのクレーム対応の難しさほど、教職員の神経をすり減らすことはない。

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 現代の混乱は、日本では、文化の「母―息子」軸が崩壊し、「男―女」軸に移行する過渡期にあることによるものと考えているが(「こころの科学」一九九四年五月号拙文参照)、母―息子文化のリーダーは、太母的紐帯にもとずく和を保つための調整型の「よき長男」タイプであることが多い。したがって、校長先生や管理職は、主にバランス感覚で出世しているので、危機管理能力や荒事に弱い。この文化では、ロックンロールなどと言っても賢母的女性に支えられた「やんちゃ」の域をでないのであるが、その賢母の支えとコントロールを失った「桁外れに甘えたやんちゃ」なクレームには対応できない。これに報いられない母性性と満たされない女性性が暴走して向かってくると、「よき息子的男性性」では、とても制御できない。そして、管理職が、現実逃避したり、責任転嫁したり、保身のために問題を先送りしようとすると、職員は、自己防衛や責任のなすり合いに走らざるをえないので、人間関係は、タテ・ヨコともに悪くなる。これは、学校のみならず、日本のあらゆる組織に進行しつつある現象であるが、結果として生徒やクライエントのケアは、ますます置き捨てられていく。

 確かに、どの現場もルーティンの仕事も加重で余裕が無いのは無理もないのだが、どこへ行っても「自分たちが一番大変」という自己被害意識に閉じこもりがちである。しかし、これだけ不可解な心の問題が蔓延している状況をふまえて、教職、ケースワーカー、心理職、医師、看護職、あらゆる心のケアに関わる専門職が、それぞれの「目のまえのクライエントのための最良のケア」を考えることのみを共通項として、カンファレンスをすることはできないだろうか。もちろん、それは、あらゆる立場・流派を超えた円卓会議であり、どんなに時間がかかっても実現せねばならない「夢」である。

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