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行動療法と心理療法

行動療法と心理療法

 行動主義(Behaviorism)では、、すべての行動は学習されたものと考える。だから、問題行動も、行動療法の手続きによって消去し、それに代わる適切な適応行動を再学習させて置き換えれば解決できるわけである。

 アメリカの大学院で行動療法を学ぶと、簡単な理論と手続きを教えた後、すぐに身近な問題行動をとりあげて、行動療法のプログラムを組ませ、実地に行わせて、その結果を発表させる。この即実践実用主義は、アメリカの大学のいいところで、余分な能書きの一切ないところ、あまりあっさりしすぎて物足らなく感じるくらいである。

チューリップ

 わたしは、障害児の施設を紹介してもらって、授業に集中できない生徒のためのプログラムを組み、数週間、教室で、その生徒にはりついて、注意がそれるという問題行動を消去し、注意集中の時間を少しでも増やすための行動療法を行って、その結果をレポートとグラフにしてクラスで発表し、全員でケースカンファレンスした。それぞれのやりかたは未熟でも、この方法でいろいろな場合のケース研究を重ねていると、基本的なことは、極めて実際的な形で理解でき身にもついてくる。

 クラスメートの一人は、当時の私(二十四歳)からすると、少し年配の主婦で、子育てが一段落して、勉強を再開された人だったが、身近な問題行動として、夫の飲酒をとりあげ、「飲みすぎ」という問題行動を消去して、「適量の飲酒」という行動を再学習させる行動療法のプログラムを組んだ。新たな行動の再学習を強化(reinforcement)する報酬は、彼女自身の性的サービスである。つまり、その日の夫の飲酒が、たまたま設定された適量を下まわった場合にのみ、いつもよりセクシィな下着で濃厚なサービスを提供するというスキナーのオペラント条件付けにもとずいたプログラムである。

 彼女も、実験結果をレポートとグラフにしてクラスで発表し、皆でケース検討したのだが、彼女の予想とは反対に、夫の酒量は増え続けた。なぜそんな結果になったのか、発表者本人は、しきりに不思議がり、新しく習ったばかりの行動療法の効果を疑問視すらしていたのだが、他のクラスメートのほぼ全員(特に男性)には、その原因は分かっていた。彼女が、報酬として提供したサービスは、報酬としては機能せず、むしろ罰(punishment)として機能し、被験者は、酒量を増やすことによって、そのサービスを避けられることを学習したのである。実験結果のグラフは、行動療法が、いかに有効に機能するかを証明するのに充分な見事なカーブを描き、酒量は、実験前と実験後の平均値で、実験者の期待とは真逆の有意差のある値を示していた。講師は、強化価値(reinforcement value)という概念を説明し、同じ報酬であっても、提供される相手や状況によって、その価値が異なると解説した。同じご褒美のハグでも、誰にされるかによって効果が異なるということである。

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 しかし、実験者は、その説明は容認できない。彼女の認識によれば、提供したサービスは、被験者にとって常に120パーセント有効な快刺激=報酬でなければならなかった。講師は、彼女の誤った認知を、より適切な認知に置き換えるためには、どのような行動療法のプログラムが可能かと質問され、「その認知の変更を、本人を傷つけずに行うことは、行動療法のベテランにとっても大変むずかしい。」と答えて、その日の講義は、ユーモアのある笑いとともに終わった。

 彼女の「気づき」をスムースに行うために、受容や共感をベースにした別のタイプの心理療法のカウンセラーならどうするだろう。ロジャース流なら?精神分析各流なら?論理療法なら? それぞれにやり方はあるだろう。しかし、扱う対象が、デリケートな心をも
った生身の人間であることだけは変わりはない。共通の目的が、クライエントの問題の解決であるかぎりは、アプローチの方法は 、いくつあってもかまわないが、各種のアプローチ間の対立は、最も根本のところでおかしくはないだろうか。それぞれのクライエントに合わせて、ベターな方法が選ばれればいいわけだし、いくつかのやり方のミックスがあっても当然かまわない。例えば、この講義のケーススタディに、別のタイプの心理療法家が参加していれば、もっと実り多い議論ができるだろう。

 各流儀の議論を机の上でぶつけあえば、イデオロギー論争になって、永遠の議論を続けることはできるだろうが、そんな不毛な論議が好きならともかく、それよりも、「この目の前のクライエントにとって、どうゆうケアが、最も有効であり現実的か」ということのみを主題にすれば、十分に協調の余地はあるはずだし、もともと、そのような互換性、可塑性、普遍性を有しない心理療法にどれだけの意味があるだろうか。心理療法各派は、流儀間の互換性の向上に、もっと真剣に取り組まなくてはならない。くりかえすが、いずれも対象としているのは、同じ人間なのだから。

画像の説明

 前述の実習のために、私が紹介してもらった施設では、施設ぐるみで行動療法が実施されていたが、確かにあのようにやれば効果はあるだろうと納得させられる内容があった。行動療法は、人間の非常に基本的なシステムの応用なので、直接的な効果が、早くて高いのである。セラピストの動きも自然で無理がなく、プレイセラピーの視点から見ても合理的に写るものだった。特に重要と思われたのは、先述の「強化価値」が強調されていたことである。あたりまえのことだが、高価な品物でも嫌いな人からもらえば重荷にもなろうし、たとえ石ころでも好きな人からもらえば嬉しい。同じハグでも、どのスタッフからしてもらうかによって強化価は変わる。それを考慮すると、それぞれのスタッフと生徒との人間関係、ラポートのあり方も大切にしなければならない。「転移」とは表現されていなかったが、それに近い心情もスタッフミーティングで話し合われていた。そうすると行動療法といえども、人間的で暖かみのあるものにならざるをえない。

 とりわけ印象的な思い出があった。実習中に、生徒たちと消防署へ見学に行く機会があった。トークンリワード(token reward)の積み立てによって、特に大きなご褒美をもらえることになっていた男の子がいたのだが、施設のバスが消防署につくなり、署長が乗りこんできて、「ミスター・ウェランはどこにいますか、ミスター・ジム・ウェラン(仮名)はどこですか。すばらしい男の子だと聞いているので、今日の見学隊の隊長に任命することにしました。」と言って、小さな消防士用のヘルメットを、その男の子にかぶせた。男の子は、始めは何が起こったか分からず、ただ当惑していたが、事情が分かると、とてつもなく大きなバルーンのようにふくらんで(アメリカ俗語の表現で、とても得意げになって)、おそらくは、一生忘れられないすばらしい思い出の一日を送った。これは、もちろん、施設のスタッフが、見学先の消防署長に頼んでやってもらったことだが、こういうアメリカ式の芝居がかって粋な報酬の選び方、与え方は、有効でもあれば、感動的ですらあって、その施設の行動療法の効果を大いに納得させられた理由の一つである。

 「行動療法であれ、他の手法であれ、各流儀間の違いよりも、同じ流儀の中での上手下手の違いのほうが、はるかに大きい。」と別の講師が言ったが、いずれの学派に属していても、名人は「同じ人間をケアしている」という共通の基本を忘れないのである。

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